廃線跡バイクツーリング 宮之城線
廃線となった鉄道跡をバイクでたどるマニアックな企画です。
グーグルマップなどと一緒にこの記事を見ると楽しいかもしれません。
宮之城線は、川内から宮之城を経由して大口(伊佐)に至る国鉄路線で、1987年に廃線になりました。
薩摩永野駅でスイッチバックをしていたことで有名な路線です。
その1(川内~薩摩白浜~楠元~吉野山)
朝7時に出発し、南九州自動車道を使って鹿児島市から川内市へワープ。
川内駅は今や新幹線の停車駅として近代的な出で立ちになっています。
宮之城線跡は、川内駅東口からしばらく遊歩道となって、県道394号線とほぼ平行に川内川に沿って北上します。
次の薩摩白浜駅は跡形も無いようです。
さらに進み,道路がやや広くなったあたりを見渡すと楠元駅跡を発見!
鉄道公園として整備されています。
国鉄時代、廃止された路線の自治体には補助金が配られ、鉄道記念公園などの整備費用にあてられています。
楠元駅を出て、国道394号をそのまま進みます。
しばらく行くと、木屋園の小川に高架橋跡を発見!
そのすぐ先の木屋園公民館を右折して登る急勾配の小道がありました。
登ってみると、先ほどの橋梁から来た廃線跡が藪の向こうに続いています。
元の道に戻り進みます。次の吉野山駅跡は吉野山郵便局に併設されていました。
動輪のモニュメントと石碑があります。
吉野山駅跡を出て、国道の脇から入り、国道と並行して走る小道が廃線跡です。
木々のトンネルをくぐる快走路です。
しばらく行くと、行き止まり。
藪を抜けた先には橋台跡が。
ここから少し先にまた国道から脇道があり、これが樋脇駅跡に続きます。
その2(樋脇~上樋脇)
県道335号→県道333号と合流します。
途中、県道の右側を並行する道が、直線的で、周りよりも高い位置にあったので、廃線跡ではないかと思い進入してみます。
そのまま進むと樋脇駅跡にたどり着きました。
やはりこの道路は廃線跡を転用したもののようです。
駅舎はほぼ原型をとどめています。
それなりに大きな規模の駅だったのでしょう。
踏切信号が何かを見つめているようです。
10月下旬。
5月上旬。
樋脇駅跡を出てしばらく廃線跡の道路をいくと、上樋脇駅跡に到着。
ホームが残っていますが、民家の入口に供するため,分断されていました。
なかなかおもしろい光景。
上樋脇駅跡から入来駅跡方面を見ると,写真奥に見えるようにガードレールで行き止まりでした。その先は川があります。
上樋脇駅跡からひとつ前の樋脇駅跡方面を振り返って眺めます。
廃線跡は生活道路に転用されています。
上樋脇駅の先の川を別の道で渡ると、築堤を発見!
手前が川です。枕木らしき材木が数本置いてありました(写真左)。
築堤から道路に出て上樋脇側を振り返って撮影。
築堤の先は道路に転用されている部分があると思われますが、線路道にしてはカーブが急なので、もしかしたら別ルートかもしれません。
とりあえず次の入来駅に向かいます。
入来駅跡から,道路に転用された廃線跡を上樋脇駅跡方面に戻っていくと、二股に分かれるT字路となっていました。
未舗装の藪道がT字路の行き止まり方向に続いていますが、これが先ほどガードレールで行き止まりだった廃線跡につながると思われます。
途中で大規模なソーラーシステムを発見。青空を反射して,まるで海原のようです。
その3(入来~薩摩山崎)
県道333号から国道328号に合流し、やや鹿児島市側に戻ると右手に入来駅跡を発見!
駅舎を横から見たときは何が何やらわかりませんでしたが、正面に回って納得。建物がSLの形をしています。
入来駅跡を出て国道328号を北上して1kmほどのとこで右折すると再び廃線跡の道路に合流。
信号のない直線的な快走路です。
県道333号との交差点を越えてすぐに鉄道信号機を発見。
久富木川あたりで橋台跡を見つけました。
突き当たりを右折すると薩摩山崎駅跡。
振り返ると、先ほどの橋台跡から築堤上の廃線跡が続いてきているのが見えます。
ちょうど重機で整備作業をしていました。
ショベルカーがレールと思われるものを掘り出しています。
今後この辺りは宅地化されてしまうのでしょうか。
山崎駅跡を出て築堤を追っていくと、道路をオーバークロスして林の奥に消えます。
写真奥が山崎駅跡。
コンクリートで舗装されていて、先に進めそう。しかも…
レールが残っている!
鹿児島の廃線跡はこの時点で(平成26年5月)大体行き尽くしていましたが、レールがここまで保存状態が良く残っているのは初めてです。
(私だけ)テンションが上がります!
5月の新緑の中を、レールによって導かれていきます。
このあと道路に合流しました。
その4(船木~宮之城~佐志~薩摩湯田)
舟木駅跡は国道267号とピッタリ並走して再び離れる地点(自動車整備工場)あたりのようです。鉄道遺構は見られませんでした。
道路化された廃線跡を北上して宮之城駅に到着。
SLの前部だけ取り外し、壁にくっつけています。
立派な建物にはバス待合室、物産館、鉄道資料館などが入っています。
これはもともと駅舎だったのでしょうか?それにしては新しい気もしますね…。
国道504号の南側を並行するように、道路となった廃線跡が続きます。
橋台跡などを手がかりに、なんとか廃線跡を追っていけます。
佐志駅跡に到着。ホームと動輪のみ残っています。
さらに進むと薩摩湯田駅跡。ホーム跡すらなく、動輪と案内板のみ。
その5 (薩摩鶴田~薩摩求名~広橋)
薩摩鶴田駅跡。ホームと鉄道記念館となった駅舎。他の駅よりもやや豪華。
駅によって保存状況が異なるのは、地元民の思い入れの違いなのでしょうか。
薩摩鶴田駅を出ると、廃線跡は右カーブを描きながら道路を横切っていきます。
しばらくすると、国道267号の右側を並行する直線道路。廃線跡と思われます。
薩摩求名駅跡に到着。広場になっており、公民館のような建物があります。
鉄道遺構は存在しない。と思っていたら、この建物が駅舎のようです。
すぐ近くの川にかかる求名橋はSLのモチーフ。
薩摩求名駅跡を出て、道路化された廃線跡を突き進みます。
途中、岩肌がゴツゴツした道を発見。トンネルを崩して切通にしたのでしょうか。
県道396に突き当たり、廃線跡は途絶えます。
ちょっと迷いましたが、グーグルマップをその場で確認すると、どうやら廃線跡は県道396をオーバークロスしていたようです。
県道の向こう側、数百メートル南下したところから再び廃線跡を発見。
林の中を進んで…
広橋駅跡の付近に差し掛かるが、駅を思わせる遺構は見当たらず、給食センターの建物で廃線跡は途切れていました。
その先は穴川という川が流れています。川の対岸に目を凝らすと、橋梁跡を発見。
国道504号に下りると、給食センター側にも橋梁跡が見られました。
対岸にわたり、廃線跡を直進すると、観音滝公園駐車場に到着。
その先には、廃線跡と思われる築堤があります。等間隔に木が植えられています。
桜の木のようなので、春が楽しみです。
この日何度目かの緑のトンネルを抜ける。
途中で廃線跡が断絶しますが、ここまで来れば薩摩永野駅跡は目と鼻の先。
その6(薩摩永野)
宮之城線のハイライト。スイッチバックで有名な薩摩永野駅跡。
駅舎は鉄道記念館になっています。
スイッチバックとは、平坦地に一旦停車し、そのまま反対方向に進路を変え,線路を切り替えて別方向に登っていく手法です。
例えば急勾配を登る際,ジクザクに長い距離を走ることで,平均勾配を緩やかにする効果があります。
もっとも,この薩摩永野駅はそれほど勾配がきついわけではなく,上記の効果を期待してのものではないようです。
諸説あるようですが,肥薩線と接続する計画があったとも言われているようです。
たしかに数キロ東には肥薩線の大隅横川駅があります。
そうなっていれば川内から霧島までを結ぶ薩摩半島横断鉄道ができていたわけで,計画が実現しなかったことは残念です。
写真左側の宮之城方面から来た線路は、薩摩永野駅で停車後、そのまま反対方向に戻る形で出発します。
そして、シーサスクロッシングというスイッチバック独特の分岐により、写真右側の大口方面へと線路を切り替えて進んでいきます。
切り替え分岐部分。この形状の分岐をシーサスクロッシングと言います。
シンメトリーで美しい。
鉄道記念館内部。改札はそのまま残っています。
ホーム上にはまとめて3つの駅案内板が。
スイッチバック後,廃線跡は大口方面へ進路を180度変えます。
県道407に並行してしばらく舗装道路として続きます。
木々が左右から張り出してトンネルのように暗いです。
しばらくすると砂利道に。
w650は比較的悪路に強いタイヤなので、そのまま進みます。
トンネルが現れました。
このトンネルは通行できるが、その先のもうひとつのトンネルは通行不可。
その7(針持~西太良~羽月~薩摩大口)
県道407号で大口方面を北上。針持駅の手前から,廃線跡は再び道路化されています。
針持駅跡。このあと2つの駅跡とも同じような作りの公園になっていました。
西多良駅跡
羽月駅跡。
大口駅跡。宮之城線の終着駅である他,山野線(栗野~水俣)の途中駅でもありました。
鉄道記念館と,やや南側に鉄道記念公園があります。
駅舎跡にできたと思われる建物の4階の鉄道・民俗博物館。
受付もなく、自分で電気をつけて入る変わった博物館。
以上、廃線跡バイクツーリング 宮之城線の記事でした。
今まで断片的にまとめていたものを、今回一つの記事にすることができてよかったです。はてなブログのおすすめ記事にのったのも、最初で最後でしょう。
また懲りずに別の廃線跡の記事も随時アップする予定です。