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遡上自転車ツーリング 荒田川

暗渠になった川の流れを推理しながら遡上する自転車ツーリング。

今回は、鹿児島市内を流れる荒田川

折りたたみロードバイク、GIANTのMR4rがお供です。

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遡上ツーリングとは、暗渠化された川の流れを地形や施設、古地図などから推理し、自転車やバイクで調査するもので、インドアとアウトドアが融合した遊びです。 

 

荒田川の河口は、与次郎が浜にあります。

昔は砂浜でしたが、今は埋立地となり商業施設やマンションが立ち並んでいます。

地名の由来は、かつて与次郎という人が塩田を開いたことからその名がついたそうです。

 

荒田川の河口は甲突川から分岐する形になっています。

 写真奥が錦江湾。左手前に甲突川、右手前に荒田川が流れています。

今日も桜島は元気に噴火しています。 

路上を火山灰が舞っているので、鹿児島でのサイクリングにはサングラスが必須です。

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河口からすぐ近くにある天保山公園。

ここには、薩英戦争で薩摩藩がイギリスの艦隊を砲撃したときの砲台跡が残っています。 

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同じ公園内には、共月亭という中国にゆかりのある建造物もあります。

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その後、荒田川は太陽橋を渡ります。

鹿児島では、昭和47年に太陽国体があり、与次郎が国体会場になったので、この橋も太陽橋と名付けられています。

ちなみに.来年の令和2年、48年ぶりに鹿児島での国体が開かれます。

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太陽橋のたもとには、坂本龍馬夫妻の新婚旅行にまつわる記念碑が。

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海が近いからか、荒田川にはボートが係留されています。

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このあたりは、松が多いです。

与次郎は、埋め立て以前、白砂青松の海岸だったとのことですので、その名残かもしれません。

この辺りの堤防は石積みで歴史を感じます。

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水門が見えてきました。

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水門を越え、浜橋付近で河口方面を振り返ります。

海岸から数百メートルは離れていますが、「浜橋」という名前からして、以前はこの辺りまで海岸だったのでしょう。

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ここには、与次郎が浜の碑と、塩田跡の碑があるようですが、見落としていました。

ここから荒田川は暗渠化されています。

下荒田を抜けて荒田八幡方面へ遡上します。

私が小さかった30年ほど前は、まだ川が見えていて、柳の木が河岸に多くあった記憶があります。

 

 

荒田八幡に到着。

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荒田八幡前。この電車通りとの交差点で、荒田川の川筋は右折(北進)して、しばらく電車通りの下を流れます。

この交差点で、荒田川と、もう一つみずほ通り方向から直進する川が合流していたようです。

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電車通りを北進した荒田川は、暗渠のまま中洲通り交差点へ。

今度は左折して、西進します。

ややこしいですが、今回は遡上しているので、荒田川は西から流れているということです。

中洲通り交差点で、浜橋から暗渠化されていた荒田川は顔を出します。

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 今来た方向を振り返って撮影。

上の写真右が荒田八幡方面です。

写真では分かりづらいですが、斜めに荒田八幡方面から向かってきています。

 

橋に「荒田川」の文字。

やはりここが荒田川であることが明らかになりました。

 

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この橋、第一中洲橋というようです。

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荒田川は中洲通りと並行して流れていきます。

 

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ところで、今の荒田川は河川事業により川筋を変えて整備されており、以前の川筋は中洲通りから北進して甲突川へ合流していたそうです。

地図を確認すると、二中通りから顔を出した細い水路が交通局跡地の裏手を流れており、武之橋の上流あたりで甲突川に合流しています。

この水路が、かつての荒田川の川筋ではないかと思います。

 

閑話休題。

荒田川をさらに遡上していくと、高麗本通りと交差します。

荒田川は再び暗渠に潜ります。

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以前は、高麗本通りを越え、私の母校である甲南高校前でも荒田川が見えていました。

しかし近年、高速道路を延伸することになり、暗渠化されてしまいました。

 

暗渠のまま、荒田川は、先ほどとは別の電車通り(県道24号線)の下を通ってわずかに顔を出し、すぐにJR鹿児島本線の線路下を潜ります。

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自転車で中洲陸橋で線路を越えて、反対側に回り、振り返ります。

ちょうど回送列車が通過していきました。

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再び進行方向の城山方向を向くと、しばらく荒田川の流れが続いているのが見えます。

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さらに進むと、また暗渠へ。

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その延長線上、中洲陸橋の西側には暗渠と思われるコンクリートが。

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この後の荒田川の流れはわかりませんでした。

ここで調査打ち切り。

 

以前調査した石井手用水と場所が近いですが、石井手用水は灌漑のための人工的な用水路であり、荒田川とはつながっていないと思います。

 

暗渠を探る旅なので、いつも以上に地味な写真ばかりになってしまいました。

何か目的をもつと、サイクリングがより一層楽しくなりますね。