性犯罪の無罪判決への批判について思うこと
静岡地裁平成31年3月28日判決など、性犯罪の無罪判決が相次ぎ、無罪判決に対する批判が見られます。
しかし、批判の中には、刑事裁判や適正手続について十分な理解がされていないと思われるものが一部見受けられます。
今回は、その原因や対策をまとめてみました。
第1 静岡地裁の無罪判決の内容
12歳の長女に対する強制性交について、静岡地裁は、平成31年3月28日、被告人に無罪判決を言い渡しました。
無罪の理由については、報道ベースになりますが、「唯一の直接証拠である被害者(長女)の証言に信用性が認められない=性行為自体がなかった」からです。
検察が控訴するかは不明ですが、被告人は、少なくとも有罪判決が確定していない以上、犯人ではありません。
まして、地裁が無罪判決を出しているのでなおさらです。
第2 無罪判決に対する批判
無罪判決に対して、以下のような趣旨の批判が散見されました。
①被害者証言が信用できないなんて、被害者は泣き寝入りではないか。
②被害者救済が遠のく。
③疑われる状況になったのだから有罪もやむを得ない。
第3 批判についての問題点
①被害者証言が信用できないのはおかしいとの批判について
そもそも、この批判をする方は、
・実際に証拠(証言や資料)を見たわけでもないのに、
・裁判官のような証拠判断の専門教育を受けず、証拠判断の経験もないのに、
・現時点では断片的な事件報道しかないのに、
どうして「被害者の証言が信用できる」と断言できるのでしょうか。
上記批判は、「性行為があった」という前提のもとに、裁判所の事実認定や被告人を批判しているように読めます。
しかし、本事件の唯一の直接証拠である被害者証言について裁判所が信用性がないと判断した以上、「性行為があった」とはいえません。
したがって、「性行為があった」ことを前提に裁判所や被告人を批判することはそもそもできないはずです。
証拠もなしに事実の有無を判断できるのは、直接の目撃者か、神様くらいのものです。
②被害者救済が遠のくとの批判について
たしかに性犯罪被害者を保護、救済すべきことは当然です。
反対する人はだれもいないでしょう。私も同じ思いです。
しかし、だからといって、冤罪を生んでいいわけではありません。
被害者保護と冤罪は全く対応関係にありません。
また、「被害者を保護するために冤罪が生じてもやむを得ない」と考えている人がいれば、その人の想像力が足りないからです。
「自分やその家族が冤罪被害にあうかもしれない」という想像ができていない、または意図的にしていないのです。
性犯罪は男性が加害者になるケースが多いため、女性は自分が性犯罪の被告人にされることを想像しにくいかもしれません。
また、男性でも実際にその立場にならないと被告人とされることを想像することは難しいでしょう。
自分は冤罪被害にあうことはありえないから大丈夫と考えているのでしょう。
しかし、冤罪は性犯罪に限ったものではありません。
例えば、スーパーで買物中に万引き(窃盗)を疑われたり、自動車事故でこちらが一方的に悪い(過失が大きい)と疑われた場合も、冤罪被害という構図は同じです。
性犯罪だけを特別視して、冤罪防止の要請を後退させることはできません。
自分や家族が(性犯罪に限らず)冤罪被害にあうことを想像してみれば、乱暴な議論はできないはずです。
③疑われるような状況になったのだから有罪はやむをえないとの批判について
これもまた乱暴な話です。
罪刑法定主義といって、日本では、法で決められた罪を実際に犯した者だけが罰せられます。
これは国の最高法規である憲法で定められています。
罪の内容が不明確だったり、疑わしいだけで罰せられるとなれば、人は不安で日常生活や業務を送れず、ひいては社会全体が衰退し閉塞していくからです。
「疑われる状況を作ったのだから有罪もやむをえない」というのは、刑事裁判の否定であり、人民裁判、魔女狩りと同じ発想です。
これもまた、「自分や家族がその立場になったらどうか」という想像力のなさが招くものです。
批判の根底には、性犯罪被害者を保護、救済すべきだという思いがあるのでしょう。
被害者保護という動機や目的それ自体は完全に正しいものです。
しかし、だからこそタチが悪いのです。
その目的のために、他の権利をどこまで侵害していいかという手段の相当性がまさに問題です。
現状では、「目的が正しければ、なにをしてもよい」という誤った正義観がまかりとおっています。
これは性犯罪と冤罪の問題だけではありません。
正しい目的のために、別の不利益に気づかない、または意図的に無視することは、残念ながらよくあります。
なお、正義という言葉はその人の立場によって内容が変わる相対的概念なので、正義という言葉をやたらと持ち出す人には注意すべきでしょう。
第4 冤罪被害を理解するにはどうすればよいのか
すでにどこかの弁護士会がしているのかもしれませんが、
「やってもいない罪をやったと決めつけられる」という冤罪被害を法教育の場で体験してもらうのも良いかもしれません。
冤罪被害者の気持ちを体験し、想像してもらうことで、当事者意識が生まれるのではないでしょうか。
また、「疑わしきは被告人の利益に」に代表される適正手続は、憲法を学ぶことでよく理解できると思います。
憲法改正に対する国民の関心が高まっていることもあり、憲法については入門書が豊富にあります。
「性犯罪被害者の救済」と「冤罪被害者の救済」は、対立関係にはなく両立するものです。
国民全体でこれらを考えていくことが必要ではないでしょうか。