廃線跡バイクツーリングです。
今回は、国鉄大隅線(おおすみせん)。
大隅線は、国分から大隅半島をぐるっと周り、鹿屋を経由して、志布志に向かう長大路線でした。
全線開通のわずか15年後である1987年に廃止されました。
その1(国分~金剛寺~銅田~敷根~大隅福山)
始発駅は国分駅。
今なお日豊本線の停車駅として現役ですが、かつては大隅線の始点でもありました。
国分駅を出た大隅線は、第一工業大学の敷地内を、時計回りに緩やかにカーブを描いて180度進路を変えて南下を開始します。
当時の高架歩道橋が現役で残っています。
廃線跡は道路となって県道60号を横切りますが、線路は今の道路のやや北側を通っており、トンネルがあったようです。
たしかにこの道路では勾配が急すぎて鉄道が上り下りするのは難しいでしょう。
金剛寺駅跡は場所が特定できませんでした。
銅田駅跡は、国分南公園前交差点のすぐ近く。
鉄道記念公園となっており、車掌車が現存していました。
このあたりから廃線跡は県道472号と合流し、敷根方面に向かいます。
敷根駅跡は、県道472号となった廃線跡が国道220号と合流する少し手前にあったようですが、これといった遺構は見つかりませんでした。
敷根駅跡を出て、県道472号が右にカーブして国道220号線に合流する直前に、廃線跡は県道472号から外れて直進します。
国道220号の下をトンネルで通っていたことは、地形的にも、グーグルマップにトンネル入口を示す記号があることからも間違いありません。
現在は埋め戻されているか、写真右側の藪の中でしょう。
その後、廃線跡は220号線をくぐり、脇元集落でトンネルを出て(こちらも出口の痕跡はありません。)、
そのまま直進して再びトンネルに入るようですが、トンネル入口まで行く道がなく確認できていません。
このトンネルで亀割峠(敷根峠)の下を通過していたようです。
トンネル出口は、福山の名産品である黒酢の貯蔵施設となっています。
トンネル内にも貯蔵できるのかも。
トンネルを抜けてすぐ、福山生活改善センターの脇から、またもやトンネルに入ります。上は国道220号線。
小廻集落でトンネルを出てすぐ、大隅福山駅跡につながります。ここも鉄道記念公園となっていました。
その2(大廻~大隅境~大隅二川)
大隅福山駅跡を出てしばらくは廃線跡が道路に転用されていますが、ところどころトンネルなどで分断されています。
海岸沿いですが、国道よりだいぶ高い場所を走っており、眺めは非常によいです。
当時の大隅線も良い眺望だったのでしょう。
地図を見ると、この道は日向街道と名付けられているようです。
そのまま南下して黒酢レストラン桷志田を過ぎると、突き当りは林道入口。
林道入口の右横に,鉄道の高架橋台の跡があります。
ここで廃線跡はいったん途切れます。
そこで数十メートル海側の国道220号へとバイクを走らせます。
以南の各集落において、廃線跡は細切れで生活道路(未舗装の砂利道もある)として利用されているようです。
その3(大隅境~大隅二川~大隅辺田~大隅麓)
牛根集落の真ん中を流れる松崎川にかかる橋。
鉄道橋だと思っていましたが、他の廃線サイトを見ると,人道橋のようです。
たしかに廃線跡のラインからはやや東にずれていました。
中浜集落の南端。左のあぜ道が廃線跡でトンネルへと続いています。
右の道を下ると国道220号に合流。
上ノ村で再び廃線跡に合流。下の写真のとおり、北端は草が生い茂り自然に還っていました。
ここで会ったおばあさんに、南にもう少し廃線跡の道路が伸びていることを教えてもらいました。
そこで南下。しばらくすると工事中の看板が。
どうやらサイクリングロードになるようです。
廃線跡がサイクリングロードになるのはよくあるります。
鉄道路線は、急勾配がなく、直線的で、車道にするには幅員が狭すぎるので、サイクリングロードにもってこいなのです。
バイクでここを走ることができるのは最後かもしれません。
国道220号沿いからも、左側にいくつか高架跡を見ることができます。
牛根麓集落あたりに大隅麓駅跡があるようです。
そこから城山の下をトンネルで海潟までつないでいます。
大隅麓から海潟温泉までは、桜島をショートカットして,城山トンネルでつながっていました。
海潟温泉から北の城山方面を撮影。
そこから南は高架が残り、狭いながらも車道に転用されています。
高架へ上る道がわからず、おばあさん二人に聞いてやっとわかりました。
廃線跡を道路に転用する場合によくある「くぼ地」。
もともとは高架橋があったと思いますが、経年劣化等の理由で撤去され、不自然なアップダウンの道が残っています。
逆に言うと、こういう不自然な起伏がある道は廃線跡ではないかと推測できます。
桜島が近いので火山灰が積もっています。
崎山集落のあたりで廃線跡はトンネルに吸い込まれていきます。
トンネルは通行不可なので国道220号に合流。
トンネルを抜けた廃線跡に、温泉場集落あたりで再び合流。快適な道路になっていました。
荒崎あたりで舗装がなくなり、廃線跡は再びトンネルに入ったので、バイクで国道に合流。
上元垂水で再び廃線跡は道路になっていたので自分も国道から廃線跡に復帰。
北側にあった何かの跡。何らかの鉄道遺構と思われるが、よくわかりません。
この奥にトンネル出口があるはず。
南側の垂水方面を撮影。なだらかなカーブを描いています。
さらに南下。鉄道記念公園になった垂水駅跡に到着。
子供用の遊具がSLになっていて,かつてのホームに停車しています。
その先は歩行者自転車専用道のようです。
しばらくバイクを押して歩いたが結構な距離でした。
その5(浜平~柊原~諏訪~新城~古江)
垂水駅跡を出発して歩行者道をしばらく南下すると、本城川でいったん線路は途切れます。
橋台などは見当たりません。
対岸に移動してさらに廃線跡を南下すると、垂水フェリー前交差点を東進する道路をアンダークロスしてトンネルに入っています。
グーグルマップによるとトンネルの長さは約100m。
同じトンネルの出口側。
ここから新城地区までの約6Kmほどが、舗装された道路として利用されています。
快適すぎてバイクから降りていないので、あまり写真がありません。
柊原駅跡や諏訪駅跡は遺構が残っていないようです。
途中で川や民家のため迂回することもありましたが、ほぼ一本道で新城駅跡に到着。
ここも鉄道記念公園として整備されています。
新城駅跡を出ると、廃線はまたもやトンネルへ。短いトンネルですが、自動車も通行できます。
新城トンネルを抜けてしばらく廃線跡は続き、新庄麓でT字路に突き当たります。
そこで,国道220号に出てすぐの、まさかり交差点(名前の由来が気になる。)にて、バイパスではなく国道220号の旧道へ右折。
廃線跡は,福八という和食屋の裏からトンネルに入ります。
福八の裏の廃線跡。
その後,テイエム牧場あたりでトンネルを一旦出て,高架で220号の旧道をまたいでいたようです。
テイエム牧場あたりのトンネル出口は発見できず。この入口の右側奥ではないかと思います。
国道220号線の旧道を渡った先に高架跡を発見。ラーメン屋の裏を抜けトンネルに入るようです。
その先の、垂水市と鹿屋市の境界線付近の山側への細道に入ると、細道の下から築堤が現れました。
どうやらこの細道の下にトンネル出口があったようです。
写真は同細道上から南方向を撮影。
廃線跡はしばらく進むと高架となります。
驚くべきことに、高架跡は古江駅直前まで今なお現存していました!
古江地区の民家のすぐ上を高架跡が220号線旧道と併走しているのは不思議な光景です。
高架跡に上る錆びた階段があり、その上辺りに墓地があったので、一部区間は立ち入り出来るのかもしれません。
この後,国道220号線を高架でまたいで古江駅につながっていたようです。
その6(古江~荒平~大隅高須)
古江駅跡は鉄道記念館となっていました。
裏に回ると改札やレール跡が残っています。
やたら人懐こい猫が近寄ってきました。
古江港(鹿屋港)の夕焼けは綺麗でした。
古江駅跡を出て、県道68号は逆S字を描いて高架で廃線跡をまたぎ、海岸線へ。
廃線跡は県道をアンダーパスしてトンネルへ続きます。
県道の高架上から,北側の廃線跡を撮影。右端に信号が残っています。
同じく県道高架上から,南側にあるトンネル入口、回りこんだ先のトンネル出口を撮影。
(平成31年現在は、整備されて歩道になっているようです)
しばらく県道を進むと左側に信号機を発見。
あえて残しているのでしょうか。
荒平駅あたり。荒平天神が近くにあります。
以前はもう少し駅としての名残を残していましたが、現在は写真左へ続くサイクリングロードの工事をしているようです。
駅のまま残しておいて欲しかったところ。
このあたりから鹿屋を抜けて永野田あたりまでサイクリングロードになっているようです。
廃線跡は,高須川直前で県道68号をアンダークロス。高須川をわたってすぐに大隅高須駅跡。
その後,今でも通行できるトンネルに入ります。
出た先の打越中集落あたりで、廃線跡は海岸線から鹿屋に向かって山側へ左カーブしながら勾配を上げます。
県道68号をオーバークロスして高架があります。
その7(大隅野里~鹿屋~大隅川西~永野田~吾平~論地~大隅高山)
サイクリングロードで高須中学校裏の海側の道を回り込むようにして、廃線跡は一気に鹿屋方向に登っていきます。
登りきった地点。奥が高須方向。
登りきると鹿屋駅跡近くまで一直線。
途中にある大隅野里駅。公園になっています。
鹿屋自衛隊基地を過ぎると、S字を下から描くようにカーブします。
鹿屋駅跡直前に、鉄道橋の証として信号があります。
鹿屋駅は管理人が常駐する鉄道記念館があり、展示品のボリュームがすごいです。
下は外に展示されている気動車。
中刷り広告まで当時を再現。
昔は喫煙当たり前でした。
鹿屋駅の前後の線路は、180度回り込むような大きなカーブを描いています。
県道68号線の田崎陸橋下を廃線跡がアンダークロスしています。
その先の交差点に踏切跡を発見。
大隅川西駅跡は、痕跡はないようです。
永野田駅跡はサイクリングロードの始点となっており,公園が整備されていますが、これといった鉄道遺構は存在しません。
永野田駅跡から東にある川を越えると,廃線跡は舗装道路となっています。
県道68号の下をくぐると、吾平駅跡に到着。
吾平駅跡は鉄道記念館になっており,ホームや客車などが外に展示されています。鉄道記念館を利用する際は入り口に記載されている管理者に電話が必要とのこと。(平成31年現在は、別の施設に変わっています)
吾平駅からは姶良川を越えて廃線跡が続きますが,一部消滅しています。
そこでいったん県道539号線に出て,その後に廃線跡と合流。
しかし入ってすぐ境川に阻まれます。
ここに論地駅跡があるはずですが痕跡は見つからりませんでした。
県道に復帰して川の向こうに回りこむ。コスモスが綺麗に咲いています。
その後は大隅高山駅まで舗装道路が続きます。
大隅高山駅。ここは鉄道記念館になっていました。
改札とホーム、レールが見えます。
こうやってSLが入線していた時期があったのでしょう。
小物もいくつか。
何がすごいって手書きです。
鹿児島中央駅の以前の名称である「西鹿児島駅」が懐かしい。
今は廃止された寝台特急の「はやぶさ」(西鹿児島~東京)や「なは」(西鹿児島~新大阪)の記載もあります。
改札鋏(はさみ)。JRでは平成4年に使用しなくなったようです。
大隅線の廃線は1987年なので、最後まで現役だったわけですね。
どうやって使うのかまったくわからない機械。
その8(下小原~串良~東串良~三文字~大隅大崎~菱田~志布志)
大隅高山駅を出た廃線跡は、県道73号の西側の土手をしばらく走ります。
大隅高山駅方面を撮影。
同じ場所から下小原駅方面を撮影。
その後は、廃線跡は川を渡って県道と合流していたようです。
県道と完全に一致していたわけではなく、ところどころ農道となって分かれている箇所もあります。
県道73号沿いの下小原駅跡は小さな公園になっていました。
次の串良駅跡も県道73号線沿いにあります。
公園になっていましたが、かつてあった鉄道車両などは事前の調査どおりすでに撤去されていました。
線路は東へ向きを変え,川をわたって東串良駅へ。
東串良駅跡にはかろうじて車輪のモニュメントがありました。
他に車両があると聞いていましたが撤去されたと思われます。
この後、線路はしばらく進んで高い崖に阻まれますが、切り通しで急坂を登っていたようです。
鉄道用の暗渠(川に蓋をしてその上に線路などを敷く)が残っていました。左が東串良駅跡方向。
崖の上に回り込むと、池之原小学校の数十メートル東から,廃線跡は再び道路となります。
一旦停止が多いですが、この後10キロメートルほど国道448号に合流するまで気持ちよく走れます。
鹿屋方向を振り返る。
三文字駅手前には、SLが描かれた橋を発見。そのほかの鉄道遺構は何もありません。
さらに進むと、大隅大崎駅跡。やや道路が広くなっており、鉄道信号があります。
給食センターとなっていました。
振り返ると、北海道のような直線道路。
大崎ふれあいの里公園あたりで国道448号に合流。
合流地点で振り返ります。右が廃線跡道路。左が国道448号。
448号から220号に戻り、菱田川を渡って菱田橋東あたりから国道南を並行する道に入ると再び廃線跡。
菱田川の手前に菱田駅跡があるはずですが、何も見つかりませんでした。
住宅街を進み、行き止まりの先は安楽川。
鉄橋がまだ残っています。国道沿いからの撮影なのでやや遠い。
安楽川の反対に回り込みます。
志布志港への道路をアンダークロスして砂利道となった廃線跡。
この地点で舗装道路に変わり、志布志駅まで続きます。
志布志駅はかつて大隅線、志布志線、現役の日南線の3線が乗り入れ、非常に大きな駅構内でした。
駅からやや西に離れた場所にSLなどが置かれています。
廃線跡ツーリング(大隅線)はこれにて終了です。
後日、詳細をリライト予定です。